B'z無観客ライブ5ERAS 会員限定インタビュー1日目書き起こし
2020年の10月31日から11月28日まで毎週土曜日に5週連続Zepp Hanedaで開催された無観客配信ライブ「B’z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1~5- 」でB'zのファンクラブB'z Party会員限定で視聴することができたインタビュー1日目の書き起こしです。
デビューから5年間を振り返ったり、その時松本さん、稲葉さんが考えていたこと、その間に起きた事件などいろいろ知ることができるインタビューでした。
Contents
- 1 初日に向けてのリハーサルは?
- 2 バンドメンバーと再会して
- 3 Zoom飲み
- 4 セットリストについて
- 5 恋心の振り付けのきっかけとは?
- 6 ライブ演出の戦略とロールモデルは?
- 7 「LIVE-GYMにようこそ」、「おつかれー!」の始まりは?
- 8 学園祭ライブで衣装が燃える事件
- 9 モスバーガーで売れたと実感
- 10 初の全国ツアーでの思い出
- 11 当時一緒にいての発見は?
- 12 焼肉屋で泥酔事件
- 13 松本さんの3年計画
- 14 「BAD COMMUNICATION」は実験的
- 15 田中一光さんはお酒を飲むと?
- 16 田中一光さんに起こったハプニング
- 17 松本さんの名言とは?
- 18 稲葉さんのバク転、今は?
- 19 同じ筋トレのマシンを購入
- 20 コントの台本の仕事
- 21 TIMEツアーについて
- 22 ゴーカートにすべてを注いでいた
- 23 ベネトンクラッシャーズ結成
- 24 正月に稲葉さん宅で鍋パーティとファミコン
- 25 初の渚園の前日は寝れなかった
- 26 原動力とは?
- 27 ファンクラブ会員(B'z Party)からの質問
初日に向けてのリハーサルは?
インタビュアー:初日を迎えられますけれども、初日に向けてリハーサルも方はいかがでしょうか。
松本さん:順調なんですけれど、下準備は曲数が多い分、かなり大変でしたね。
稲葉さん:そうですね。あのリハーサルがバンドが一緒になってるやり始めと1日ずついろんな細部にわたって修正していきながらという感じなんですけど、一日やったら次の日が全然違うメニューだったりするので、その辺がこうなんか的を絞りきれないっていう感じが結構ありましたけど。
松本さん:僕も。僕もそうでした。個人的に8月のはじめぐらいから、ぼちぼち練習始めたんですけど、やっぱ次に取り掛かると前を忘れちゃうんですよね。そんなことの繰り返しでリハーサル入ってもまだそうだった。というか、今でもそうです。
バンドメンバーと再会して
インタビュアー:今回、全員日本人で、田中一光さんは94年以来の26年ぶり、徳永さんも13年ぶり、黒瀬さん、満園さんにお会いした印象は?
稲葉さん:一光さんは一番久しぶりだったけど。
松本さん:そうだね。彼のドラミングは変わってないね。素晴らしいと思います。
稲葉さん:丁寧でね。
Zoom飲み
インタビュアー:実際にリハーサルに入る前までの間にバンドメンバーと交流というか、会われたりしたんですか?
松本さん:1回だけZoom飲みしましたよね。増田君が黒瀬君と、一光君と庄太郎君と飲んでるところに、稲葉君は僕より先に参加してたんでしょ?
稲葉さん:そうです。時間の都合でちょっと手前の時間で。
松本さん:僕は外で食事をしていたんだけれども、帰ったら合流しようかと思ったんだけど、まだやってもました。
インタビュアー:皆さん参加されたんですか?
稲葉さん:みんないたよね?
松本さん:うん。稲葉君が抜けて、そのあと僕が入って。そのあと、徳ちゃんと大賀君が入った。
インタビュアー:Zoom飲み会なので、松本さんと稲葉さんも飲み物を持参されたんですか?
稲葉さん:僕はその時飲んでなかったです。
松本さん:自宅だったので。
インタビュアー:適度に。
松本さん:はい。
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セットリストについて
インタビュアー:セットリストを決める役割をそれぞれ分けられた、ということだったんですが、DAY1はどちらが考えられたんですか?
松本さん:DAY1はぼくかな。
インタビュアー:DAY1に向けてこだわった点、コンセプト的なものはありましたか?
松本さん:結局、そのあと打ち合わせをして、みんなの意見なんかも聞いて取り入れながら、演奏する曲や、順番入れ替わったりするので、草案みたいなドラフト的なものを出したけど、僕というより、みんなで決めたって感じですよね。
インタビュアー:DAY1の中でイチオシ曲、見どころは何曲目ですか?
稲葉さん:3(曲目)なんかは久しぶりですよね。
松本さん:あー、(ピー)。
稲葉さん:言っちゃってんじゃん!
松本さん:あ、言っちゃだめなんだ。ごめんなさい。
稲葉さん:これ(3曲目)は意外ににね楽しいね。これはライブでやるのは初だと思っていたんですけどね、増田君と一光君によると、かつては割とやってたって。
松本さん:やってた。
稲葉さん:でも今なりのアプローチで演奏しているので、なかなか楽しいですね。
松本さん:当時やってたライブの演出を思い出すようなの雰囲気もあるし、演出の中では。やってて懐かしい感じもあるよね。曲の端々でその時の自分を思い出すというか。ツアーやってた頃とか。
稲葉さん:レコーディングで一光君とかたたいていた曲とかやると、あ、これ本物なんだ。とか。
松本さん:そう!本人だなって感じ。
恋心の振り付けのきっかけとは?
インタビュアー:今回は「恋心」を会員の方に動画を募集したんですけれども、そもそも恋心に振り付けが付いたきっかけというのはなんだったんですか?
稲葉さん:恋心ってZEROのカップリングだっけ?
松本さん:そうだね。
稲葉さん:だったら92年とか。TIMEのツアーかな。
松本さん:そうかもしれない。
稲葉さん:当時の演出の市川さんのアイデアだと思うんだけど。彼だよね?俺じゃないよ。
松本さん:フリに関しては私、ノータッチなんで。
稲葉さん:思い出せないね。
インタビュアー:演出の方の、、、
稲葉さん:アイデアだと思います。
ライブ演出の戦略とロールモデルは?
インタビュアー:ちなみになんですけど、松本さんは初代宣伝部長だと思うんですけれど、初めに「OFF THE LOCK」のころ、アルバム2枚出すまではツアーをしない、ということをおっしゃられていたんだと思うんですけれども。松本さんのイメージの中で、初めてのB'zのコンサートの演出というのは戦略的に考えてたんですか?
松本さん:それは絶対考えたね。まずライブハウスではやらないってとこから始めてたので、初めからホール展開を考えてたんですよ。だからただ演奏するだけじゃなくて、演出もあるようなSHOWは思っていましたね。
インタビュアー:そのとき、演出家の方にああしたい、こうしたいなど要望を出されていたんですか?
松本さん:結成してから数年間はけっこうあったね。でもやれっる範囲ってのは段階踏んでだから。
インタビュアー:こういう戦略を考えるうえでロールモデルとなった人はいるんですか?
松本さん:そうですね。僕たちのルーツの一つでもある80'sのヘビーメタルなんかはそうですよね。
インタビュアー:それがSTARFISHに繋がっていったりとか?
松本さん:そうですね。
「LIVE-GYMにようこそ」、「おつかれー!」の始まりは?
インタビュアー:「LIVE-GYMにようこそ」とか最後の「おつかれ」はどのようにして生まれたのでしょうか?
稲葉さん:全然覚えてないんだよね。でも一光さんは「やってた」って言うしね。だいぶ前からやってたんでしょ?「おつかれ」って。
松本さん:どうやって始まったんだろう。あれってね。
稲葉さん:一番最初は。3本くらいやったときは、「やっと会えたね」って言ってたような気がする。
松本さん:言ってた。言ってた。「やっと会えたね」。
稲葉さん:それだけは覚えてるけど。「LIVE-GYMにようこそ」がいつからあの形になったのか覚えてないんだよね。
インタビュアー:さらっと言った?
稲葉さん:たぶんね。自分の中でイメージが膨らんじゃうから、だんだん誇張する感じになってきた。それで今の挨拶になったと思うんだけど。
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学園祭ライブで衣装が燃える事件
インタビュアー:初めの年はBAD-CLUB GYMだとか、CAMPUS-GYMというのもあったと思うんですけど。何かそのことで覚えてることはあったりしますか?
稲葉さん:CAMPUS-GYMって学園祭ですよね。
松本さん:あー、そうだよね。唯一ですよね。今までやってないよね。
稲葉さん:学園祭それ以来やってないよね。俺、本番中ね、松本さんのワイヤレスのスイッチ切っちゃったの覚えてる。
松本さん:そうだったっけ。
稲葉さん:そう。で、戻したんですよ。こうやって(スイッチを入れるジェスチャー)(笑)気づいて(笑)ソロかなんかのときかな。
松本さん:当たったんだよね。たぶんね。
稲葉さん:手が(笑)
松本さん:リハーサルの時に稲葉君のゴルチエのジャケットが燃えたのはよく覚えてるね(笑)あれ、学祭の時だよな。
稲葉さん:...はい。なけなしの自分のお小遣いで。
松本さん:照明の上、置いてて。
稲葉さん:ジャン=ポール(・ゴルチエ)が後ろで。。。
松本さん:燃えちゃって。
稲葉さん:リハーサルで白煙が上がっちゃって、俺のゴルチエのジャケットが!...穴あきました。
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インタビュアー:それは松本さんからお金を借りて買った3着ではなかった?
稲葉さん:俺、3着買ったって言ってた?
インタビュアー:デビュー当時…
稲葉さん:ヒステリックグラマーの革ジャンはよく覚えてる。
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インタビュアー:稲葉さんが、松本さんからお金を借りて
稲葉さん:はい、借りました。
インタビュアー:買った一品ではなかったっていう
稲葉さん:そのころどうだろ。時期的にはそうではないかもわからない...。あれとっとけばよかったね。穴空いたやつとして飾れたのに。
松本さん:ほんとだね。
インタビュアー:松本さんからお金を借りて、買ったときのジャケットは...?
稲葉さん:その話長いっすね(笑)
インタビュアー:(笑)さすがにもう今は…
稲葉さん:どうだろ。封筒にお金を入れて返したことは覚えているけど。革ジャンは撮影のときとかで来てましたけどね。
松本さん:最初のことは全部自前だったので。
インタビュアー:メイクもご自身で
松本さん:やってましたよ。
稲葉さん:それはみんな割と普通だったんじゃない?
インタビュアー:松本さんはTM Networkをされていたので、、、
松本さん:あそこでメイクを覚えましたね。
インタビュアー:稲葉さんに手ほどきをしたりだとか?
稲葉さん:どうやってたんだろ、あれ。やたら逆毛立ててたの覚えてるけど(笑)誰かに教わってないとできないから、聞いたんじゃない?メアメイクさんとかに。
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モスバーガーで売れたと実感
インタビュアー:確かお二人でモスバーガーをたくさん食べた時に「売れた」と実感されたと以前お話をされてたと思うんですけれど。
松本さん:覚えてるよ。
稲葉さん:並んでたの覚えてる。
松本さん:ね。当時は音楽雑誌も勢いがあったし、レギュラーもたくさんやらせていただいていたので、なかなか取材とか撮影とか長いんですよ、一日。で、祐天寺のスタジオだったかな。で、撮影しててモスバーガーが近くにあったから、とにかく”メニューにあるの全部”みたいな感じで、買ってきていただいて。あの時5個食ったの覚えてる?
稲葉さん:俺が?
松本さん:うん。俺は4つ食べたの。
稲葉さん:そんな食ったっけ?
松本さん:うん。さすが若かったよね。
稲葉さん:モスバーガー5個食えないよ。
松本さん:その並んでいるモスバーガーの種類を見て「来たな」と。
稲葉さん:バイトしてたからね、モスバーガーでね。
松本さん:かつては学生時代にしてましたからね。高校時代に。だから感慨深いものがありましたよね。
初の全国ツアーでの思い出
インタビュアー:「OFF THE LOCK」ツアーで初めてのB'zのツアーで、当時の会報誌に各地のグルメを堪能している様子がうかがえるんですけれど。記憶に残っているようなものはあったりしますか?
稲葉さん:みんな一緒にご飯食べてたから、きっと。ツアーした時に日本ってほんとお魚が多いなって、思いましたけど。どこ行っても刺身とか出てくるし。僕、お魚好きじゃなかったんで(笑)
インタビュアー:そうなんですか?(笑)
稲葉さん:基本刺身とか魚料理がいっぱい出てくるなと思いながら(笑)でも北海道はジンギスカンとか初めて食べたし。やっぱりあれは衝撃的に美味しかった。
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当時一緒にいての発見は?
インタビュアー:松本さんと稲葉さんは制作もそうだし、キャンペーンとかも一緒に回ってるわけじゃないですか。四六時中一緒にいると思うんですけれど。ツアーが始まって、移動やホテルも一緒だったりして、長く過ごす間でお互いが「こんなところあったんだ」とか何かありますか?
松本さん:あの頃は毎日会ってたね。何かしらがあったからね。
稲葉さん:だいたい撮影か収録か、ツアーのどれかだったから。重なってたりもしたし。だから次の作品の打ち合わせとかね。そんな話をしてたんじゃないかなーと思いますけれど。僕も余裕もなかったし。
焼肉屋で泥酔事件
インタビュアー:「LADY-GO-ROUND」など歌詞に悩む稲葉さんを松本さんが焼肉屋さんで励ましたとのことですが?
松本さん:ああ、正月ね。アルバムのレコーディングもだいぶ進んでて、でもシングルが決まらなくて。その時にだいぶ歌詞に煮詰まっているようだから、一回連れ出そうっていう話をディレクターの寺島君として、正月の2日ぐらいだったかな。本屋に寄って、その後に渋谷の焼き肉屋に3人で行って。その翌日以降は割とスムーズにかけましたよね。
稲葉さん:だったかなぁ。たしか。このアルバムも最後の方、マスタリングの方もぎりぎりだった気がする。
松本さん:そうだね。
インタビュアー:稲葉さんがその焼肉屋で泥酔したっていうエピソードが残っていて、そうとう辛かったのかわからないですけど。
稲葉さん:どうだろ。お酒はそんなに強くなかったしね。気分的にも発散したかったんじゃないんですか?たぶん焼肉屋の時点で泥酔していたと思う(笑)
松本さん:(笑)
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松本さんの3年計画
インタビュアー:「BREAK THROUGH」がオリコンチャートが3位に入るじゃないですか。その時の心境は覚えていらっしゃいますか?
松本さん:嬉しかったですよね。過去にも何度も言ってるけど、当時のレコード会社の風潮としてはアルバム3枚出してないと契約切られるみないな。その暗黙のルールがあったんで。だから3枚目ですよね?「BREAK THROUGH」って?でベストテンにいれて、そのあとシングルがね。売れましたから。うまいこと言ってよかったよね、ほんと嬉しかった。
インタビュアー:「BREAK THROUGH」が3位に入って、そのあと「太陽のKomachi Angel」が1位で、「LADY NAVIGATION」がちょうど松本さんのお誕生日の日にリリース?
松本さん:そうだったよね。ちょうど僕が30歳の誕生日だったね。
インタビュアー:「LADY NAVIGATION」が初の100万枚突破だったんですけれど。オリコン1位と100万枚突破というのは、松本さんの3年計画に見据えていたものだったのだったんでしょうか?
松本さん:いやいや、それは出来すぎでしたね。そこまでは思ってなかった。
インタビュアー:ちなみに松本さんの3年計画で一番最後の目標って何だったんですか?
松本さん:シングルヒットとアルバムをベスト10。出来れば1位取りたかったよね。いくつも目標あったよね。やっぱりヒットスタジオに出る事とかやっぱり出れば翌週にはセールスが伸びた時期だったしね。全部思い出せないけど、いくつかありましたね。
稲葉さん:すごいね。3年なんだまだ。「LADY NAVIGATION」もっと後だと思ったけどな。
「BAD COMMUNICATION」は実験的
インタビュアー:そのあと、4枚目となる「RISKY」がアルバムとして初の1位なんですけど。アルバムが1位になるってシングルが1位になるとは違った喜びがありましたか?
松本さん:布石として、「BAD COMMUNICATION」のヒットが大きかったですね。アルバム3枚目でヒットさせるために、ひとつ実験的なことをして、それがうまくはハマったんで。ディスコなんかにもアナログ盤を配るためにあの英語バージョンも作ったんですよね。
それは何か最初、有線でそっちの方が先に上がり始めて、僕たちは最初、外国の人の曲のカバーをしてると思われたみたいですね。その日本語バージョンはね。
インタビュアー:松本さんのおっしゃる実験的なこというのは?
松本さん:ミニアルバムっていうのはちょっと流行ってて。というか、何トータルで何分だとミニアルバム扱いっていうのがあったから、まずは最初サイズを作ってたね。何分というのか。で、そのミニアルバム扱いにしようっていう。だかた「BAD COMMUNICATION」は最初からも6分とか7分とか結構長いですよね。
インタビュアー:稲葉さんどうですか?「RISKY」が1位になったというのは。
稲葉さん:あんまり覚えてないね。「RISKY」まで3年くらいでやってるわけでしょ?ほとんど休まなかったし。
松本さん:ほんと休まなかったね。
稲葉さん:当然、すごい喜んでると思うんだけど、もう次のことやってるんで、その時。だから気持ちを味わうっていう余裕がなかったんじゃないかなと思いますよね。
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田中一光さんはお酒を飲むと?
インタビュアー:「RISKY」ツアーで26年ぶりに今回のサポートを務められる一光さんが加入するわけですけれども。きっかけは何だったんですか?
松本さん:きっかけはね。中川勝彦ツアーで一緒でした。当時、一光君が19歳だったかな。多分、その中川君の仕事してた時の印象がすごい良かったんじゃないかな。それであの誘ってみたんだと思います。
インタビュアー:加入したことで「松本さんの飲酒量が凄い上がった」っておっしゃってたんですが。
稲葉さん:よく飲んでましたよね、皆さん。一光さん、飲むと基本変わらないんだけど、内容的にちょっとアグレッシブになってたりとか(笑)
松本さん:よくさ、”悪い人とかになってるよ”って言ってたよね(笑)
稲葉さん:そう(笑)激昂とかするんだよね。騒いだりとか。飛び跳ねたりとか。当時(笑)
松本さん:面白いよね(笑)
インタビュアー:今は紳士な。
稲葉さん:普段はあんな感じだよね。
インタビュアー:お酒を飲むと?
稲葉さん:今、飲ましてみようよ(笑)変わってるかどうか(笑)
田中一光さんに起こったハプニング
インタビュアー:ツアー中に佐賀の嬉野温泉に行かれたそうで、
稲葉さん:当時よく温泉行ってたよね。
松本さん:行ってた。行ってた。最終日の夜か移動して、帰りに温泉よって帰ったりとかしてましたね。
インタビュアー:嬉野温泉の後に登別温泉に行かれるんですけど
稲葉さん:登別行ったの覚えてるな。
松本さん:行きましたね。
インタビュアー:登別温泉で一光さんにちょっとしたハプニングが起きるんですけど
松本さん:温泉はハプニング続きだったからね。結構。
稲葉さん:宴会してたしね。
インタビュアー:多分ですけど、稲葉さんは覚えてらっしゃる可能性が高いです。
稲葉さん:一光さんがガラスみたいな床にぶつかった、というのは覚えてんだけど。
インタビュアー:ぶつかったまま、そのまま寝ちゃってたらしいんです(笑)
稲葉さん:その時は泥酔してたんです。きっと(笑)
インタビュアー:そのころは(笑)
稲葉さん:この企画はそういうの暴露していくんですか?
インタビュアー:暴露していきます(笑)
松本さんの名言とは?
インタビュアー:松本さんはこの頃、ほんと寝てたかったそうなんですけど、「夜は起きてて、移動中は寝てる」という名言が残っているんですけれど。
松本さん:もうね。どうして1日ってこんなに短いんだろうって。
稲葉さん:言ってた。言ってた。時間が足りないってずっと言ってた。
松本さん:それで移動中寝て。本番やってって生活を何年か過ごしてたね。楽しかったけど。
稲葉さん:ラジオ局行ったりとか。
松本さん:行ってたね。キャンペーンとかコンサートとか言ってても番組出させてもらったりとかしてたので。
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稲葉さんのバク転、今は?
インタビュアー:「RISKY」ツアーを終えられて、初めての「Pleasure」ツアーを開催することになるのですが、この「Pleasure」ツアーの企画の発端はどこからあったんでしょうか?
松本さん:どこからだっけ?よくよく考えたらPleasure'91なんてそんなヒット曲ないじゃない。
稲葉さん:だからアルバムツアーじゃなくて、ダイジェスト版ってアイデアなんでしょ。誰のアイデアがわかんないけど。そうだったんじゃない?
インタビュアー:初のPleasure'91のツアーでは初めて稲葉さんがバク転をしたり、メンバー紹介のコーナーでは松本さんがギャルを従えていたりしていましたけれど。稲葉さんはバク転は元からできたんですか?
稲葉さん:たぶんできてないとそこでやってないと思うから、できてたんだと思う(笑)
インタビュアー:ちなみに今でもできますか?
稲葉さん:そんなの怖くてできるわけがない(笑)
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同じ筋トレのマシンを購入
インタビュアー:つづいての「IN THE LIFE」ツアーではツアー前に松本さんと稲葉さんが、同じ筋トレのマシンを購入したとか。
松本さん:あったね。
稲葉さん:家に置くやつ?
松本さん:うん。
稲葉さん:ラバーのあれつけてね。ぎゅーって伸ばすやつ。なんだっけ?ソロフレックス!
松本さん:そうそう!
インタビュアー:それってその時に流行ってた何かなんですか?
稲葉さん:たぶん、流行ってたから俺たちも知ったんだと思うよ。
インタビュアー:実際に効果のほどはどうだったんでしょう?
稲葉さん:やってたもんね。
松本さん:やってた。やってた。
稲葉さん:効果あったと思うますよ。楕円形の抵抗漉けるんだけど、それをこうやって引っ張るみたいな(ジェスチャーを交えて)。押したり引いたりするやつ。
インタビュアー:稲葉さんはそれをやっていたらアクシデントに遭われたそうなんですけれども。
稲葉さん:そんなことあった?
インタビュアー:鍛え過ぎたら、声がでなくなるっていう。
稲葉さん:あー、当時それほど筋肉ついてたわけじゃないんだけれど、きっとむやみにやったからフォームも正しくなかったと思うんだけれど、結果から言うと背中がすごく張ったたらしくって、知識が当時ないから耳鼻咽喉科で喉の先生にずっと診てもらってたんですよ。「異状ないよ。ポリープも無いし」って言われて、余計原因分からないから「まずいまずい」って。誰かに紹介してもらって、体ほぐすところ、鍼灸医みたいな。で、行って身体ほぐしてもらったら、「背中がパンパンです。」って言われて。ほぐしてもらったら出るようになって。何も考えないで身体鍛えようとすると、歌にも影響が出るなって、このとき勉強しました。
コントの台本の仕事
インタビュアー:この頃、メンバー紹介でコントみたいなことされていたと思うんですけれども。松本さんがよく北海道で有名なしゃぶしゃぶ屋さんがあると思うんですけれど、稲葉さんがそこでよく台本を書いていた、と。
稲葉さん:内容覚えてないな。
松本さん:ちょっと学園物だったかな。
稲葉さん:青春物でちゃんとストーリーあったよね?
松本さん:みんなでコンサート終わって、食事している席で、みんな酔ってるから好き放題行って、(稲葉さんが)紙とペンを持ってストーリーにするみたいな。
稲葉さん:どういう仕事?みたいな(笑)
松本さん:歌った後になぁ(笑)
稲葉さん:よく考えてたな(笑)意外にそこ真剣にやってた(笑)
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TIMEツアーについて
インタビュアー:Pleasure'92の「TIME」ツアーなんですけど、この「TIME」とは「BLOWIN'」のセカンドから来ているんですか?
稲葉さん:そうですよ。
松本さん:うん。多分そう。
インタビュアー:「TIME」というのは自分たちの活動に「TIME」が重なるとか、そういうこともあったりされましたか?
稲葉さん:どうだろそのとき。そのとき「ここまできたか」とか思ってるなんてわからないけど。
松本さん:そんなこともあった気もするよね。オープニングのトラスがどんどん大きくなっていくのを見てると結構感動してたもんな。「俺たちもここまで来たか」って思って。
ゴーカートにすべてを注いでいた
インタビュアー:「RUN」のレコーディングも合歓の郷で行われてたんですよね?
松本さん:レコーディングっていうか、プリプロダクションじゃないかな、と思うんですけど。「ZERO」とか六本木のマッドスタジオで録ったとの覚えてる。
インタビュアー:プリプロをされている合歓の郷でアクティビティを色々されたと思うんですけれど?
松本さん:カート?ゴーカートにハマっちゃってて。合歓の郷って本格的なコースとかマシンがあるんだよね。それで、やってましたよね。みんなで。
稲葉さん:もうすべてを注いでいた。そこに(笑)
松本さん:確かに(笑)すべてを注いでいたね。ほんと(笑)
稲葉さん:あれチームでやってたっけ?ふたりでやってたっけ?違うか。
松本さん:ときどき試合みたいにしてたんだけど。みんなで。試合すると、練習するじゃないですか。それでタイムとかも計っててもらって
インタビュアー:元走り屋の松本さんからしたらそこは得意な分野だったんですか?
松本さん:ケガもしましたけどね。
インタビュアー:カートでケガをされたということなんですか?
松本さん:一般のお客さんがお金を払ってやるカートとしてはそこは本格的なんだけど、もっと本格的なコースがあって。「RUN」のときじゃなかったかな。自分たちでマシンも買ってたじゃん。二人とも買ったんですよ。それで、コーナーで攻めすぎて、曲がり切れずにぶつかってひっくり返ったことがあったよ。
インタビュアー:大事にはいたらなかったんですか?
松本さん:大事にはいたらなかったんだけども、これは仕事に支障をきたすなってその時感じましたね。
ベネトンクラッシャーズ結成
インタビュアー:ちなみに稲葉さんは一光さんとチームを組んでいて、ベネトンクラッシャーズっていうチームを。
稲葉さん:なにクラッシャーズ?(笑)
インタビュアー:ベネトンクラッシャーズです(笑)
稲葉さん:そうなんだ。覚えてないけど。だいぶ真剣にやってました。一光さんもやってたんだ。
松本さん:みんな強制的やらされてたんじゃない?バンドは強制参加。
インタビュアー:気分転換になるんですかね。
稲葉さん:そうだね。きっと。
正月に稲葉さん宅で鍋パーティとファミコン
インタビュアー:その翌年のお正月に稲葉家に訪問されたと?鍋パーティを稲葉さん家でやったと。
稲葉さん:鍋パーティ?鍋とかはやってたと思うけれど。
インタビュアー:そのときはじめて、松本さんが稲葉さん家に行かれたと。
稲葉さん:ほんと。
松本さん:あぁ、そう。
稲葉さん:一光さんも来てたの?
インタビュアー:おそらく。
稲葉さん:あぁ、なんか覚えてる。家に来て、最初みんなでファミコンやってた(笑)
松本さん:そうだっけ?
稲葉さん:鍋の前に(笑)
松本さん:学生だね(笑)
インタビュアー:流行ってましたしね。
稲葉さん:スーパーファミコンやってた(笑)いつの時代ですか(笑)
インタビュアー:93年なので、そのくらいだと思いますけれども。
初の渚園の前日は寝れなかった
インタビュアー:「RUN」ツアーが終了した後に初の渚園「JAP THE PIPPER」を迎えるわけですけれども。当時の光景だったりとか、印象に残っていることはありますか?
松本さん:雨が降ってゲネプロがちゃんとできなかったんですよ。それはすごくよく覚えてる。だから不安を残したまま本番を迎えたっていう感じなんですけどでも。まあ、よく5年であそこまで行ったもんですね。ほんとに。
稲葉さん:2日間やって。最初の日の朝めちゃくちゃ早く目覚めて。寝れなくて。
インタビュアー:緊張してですか?
稲葉さん:緊張して。本番前に客が入ってるのも見ちゃったから、それで。
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原動力とは?
インタビュアー:平たいところに、地平線の向こうまでいるんじゃないかってぐらいに見えますもんね。
こう見返すとでデビューから5年の間にほんとにいろんなことがリリースもそうですけど、あったんですね。
稲葉さん:ほんとですね。
インタビュアー:その原動力とはなんだったんですか?
松本さん:この後もまだまだ続くからね。たまに休みがあると、「休みなんていらないから仕事を入れてくれ」って言ってたもん。とにかくレコーディングとツアーと音楽雑誌のレギュラーを何誌もやらせてもらっていたので、ツアーの旅先から帰ると、レコーディングスタジオか撮影スタジオに行って、レコーディングするか、撮影してインタビューしていただくか。そんなことで東京についても家に帰るのは夜遅くだったよね。
稲葉さん:あんまり忙しいなって思ってなかったよね。今見るとすごく大変そうだけど。
インタビュアー:充実していたということなんでしょうね。
ファンクラブ会員(B'z Party)からの質問
ファーストアルバム「B'z」での思い出
インタビュアー:ファーストアルバム「B'z」について、アルバム制作時に印象に残っていることはありますか?
松本さん:小さなサウンドジョーカーっていうスタジオで、ディレクターの寺島君と3人でね。こもりきりでしたよね。
稲葉さん:サウンドジョーカー…そうですね。一番印象的かな。
「OFF THE LOCK」での思い出は?
インタビュアー:「OFF THE LOCK」について、セカンドアルバムですべてシングルで出せるほど力を入れられたと松本さんがおっしゃっていましたが、その中でも思い出に残っている楽曲はありますか?
松本さん:キャッチーな曲が多いのは確かですよね。僕なんか「safty love」なんか好きですよ。あと何が入ってたのかな。俺、「loving All Night」とかも結構好きだったな。
稲葉さん:「GUITAR KIDS RHAPSODY」はスタジオでの作業が終わったあと、会社の交差点のケンタッキーのビルのとこ行って、スタッフとか寺島さんとか社長とかみんなが集まって、歌詞カード見ながらあぁでもない、こぅでもない、とかずっと言われてた(笑)真夜中に(笑)
インタビュアー:その時、稲葉さんはどう思ってたんですか?
稲葉さん:みんなの意見聞きながら、一枚こう上げて「ん?」って感じで(笑)
一同:(笑)
アイデアは尽きない?
インタビュアー:「BREAK THROUGH」について、この1年間に数多く作られていますが、アイデアは尽きなかったのでしょうか?
松本さん:この頃はアイデアが尽きないところまでまだ行ってないよね。そのあとも尽きなかったような気がするね。
売れてから変わったこととは?
インタビュアー:「太陽の Komachi Angel」について、初のオリコン1位を獲得しましたが、それで爆発的に売れだして身の回りなどで大きく変わったことはありますか?
松本さん:ヒットスタジオとかも出させて頂いて。大きく変わるっていうかね。
インタビュアー:街で声をかけられるようになったとか、サインくださいって言われるような?
松本さん:それはありましたよね。ただ僕らそんなにテレビに頻繁に出てるわけじゃないから、そんな大層なことにはならなかったけど、たまに言われるようになりましたね。
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「RISKY」ツアーでプレゼントしたギターは?
インタビュアー:「RISKY」ツアーの渋谷公会堂でギターを観客席にプレゼントされたのを覚えていらっしゃいますでしょうか?衝撃的なことだったので、コンサートの中で一番の盛り上がりだったと思います。
松本さん:その話を聞いて、覚えています。
インタビュアー:それはどういうきっかけで?
松本さん:きかっけは今となってはわからないんだけど…
インタビュアー:急にその場でということですか?
松本さん:急にというか、ギターテクと話してて、「ギター少年みたいな感じの子がいたらあげちゃおう」って話だったんじゃないのかな。そのギターは今どこにあるんですかわかるんですか?
インタビュアー:わからない、、、何か情報があればちょっとファンクラブの方にお寄せいただきたいな、と。
稲葉さん:YAHAMA?
松本さん:YAHAMA。YAHAMA。
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「Crazy Rendezvous」のイントロ収録の車はそのまま戻らなかったってホント?
インタビュアー:「IN THE LIFE」の「Crazy Rendezvous」のイントロの音は当時の松本さんの愛車のエンジン音だったそうなんですけれども。そのまま発車して戻ってこなかったと聞きました。本当ですか?
松本さん:本当です。あれは六本木トンネルで録ったんですけど、昔は今みたいに車の通りなかったんですよ。だからディレクターの寺島君が録音機材、あの頃ダットだったかな。持ってて。いい音取れた感が自分でもあったので、そのまま帰りました。
インタビュアー:そういうことだったんですね。
「JAP THE RIPPER」のライブ演出での事件
インタビュアー:ライブでギターを爆破された松本さんの演出だとか、クレーンで歌われた稲葉さんの演出だとか、演出で大変だったことは何ですか?
稲葉さん:「NATIVE DANCE」だったかな?風で音が流れちゃって、リズムがわかんなくなっちゃた
松本さん:あの頃、イヤモニターなかったかな?
稲葉さん:なかったね。距離が離れてるから、反響の音とでわからなくなっちゃった。
インタビュアー:松本さんは爆破されてましたけど、結構危なかったんじゃないですか?
松本さん:そうですね。燃えた後のギターまだあるよね?(スタッフに尋ねる)結構な焼け焦げてる感じがあります。
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